しゅんしゅんのHP TOP



その1 往路 伊那路1号



2017.9 飯 田線秘境駅号の旅 コンテンツ
その1 往路 伊那路1号【このページ】
そ の2 復路 飯田線秘境駅号
小ネタ 飯田 線秘境駅号の車両運用
.


2017年9月のとある金曜日。私と母は浜松から豊橋駅に来ていました。
JR東海ツアーズの主催する「飯田線秘境駅号の旅」に参加するためで、営業所の前に集まると、高齢者や中年の鉄道ファンとおぼしき人が集まっていました。

9:50。豊橋駅の改札を抜けると「急行 飯田線秘境駅号」の案内がありますが、これには乗りません。
(飯田線秘境駅号が2つある理由は後で述べます)



豊橋駅4番線には「特急伊那路1号」が停まっており、これに乗って天竜峡駅に行き、復路に「飯田線秘境駅号」を利用するスケジュールです。

発車は10:08と少し時間があるので、コーヒーを買いに売店へ。……って、添乗員の視線を感じるのは、降りている乗客を目で追っているからでしょうか。





方向幕はこんな感じ。JR東海は国鉄書体を今でも使っています。今日は3両編成の内、2両が指定席という団体仕様です。(通常は指定席1両と自由席2両)





使用車両は373系のトップナンバーのF1編成。あてがわれた1号車が付随車(モーターのない車)のクハなのは幸いです。(20年以上前に登場した VVVF 制御の373系、電動車は特急らしからぬ賑やかさなのです)





伊那路1号は、途中、「飯田線秘境駅号」と書かれた373系電車を追い越し、新城から中部天竜を抜けると途端に山が険しくなります。
電車の速度も落ち、右へ左へと揺られるさまは特急とは呼べません。でも、車内は特急のまま。
水窪か小和田のあたりでアナウンスが有り、このあたりはあまりにも山が険しいため、日本人の人夫が集まらず、北海道からアイヌの人夫に来てもらって測量し たそうです。飯田線は1934年に全通しており、当時はまともな道路がなかったことから、物流は川か人の背。
鉄道開通が強く待ち望まれたわけです。





到着1時間前の11:30頃、添乗員によって「飯田線秘境駅号弁当」が配られました。
沿線にちなんだ食材とのことですが、何をどこに使っているのか書いてないと、まったく有り難みがわきません。
それにしても、小分けの弁当、流行っていますねww





お腹が膨れた12:26。2分遅れで天竜峡駅に到着。
ここで、あらかじめ色分けされた15人ぐらいずつのグループに分かれ、天竜峡の観光ガイドの引率のもと天竜峡観光に向かいます。

この碑石から中に入ると、名勝の天竜峡ということになりますが、この碑石……何かおかしいです。




天竜峡が名勝に指定されたとき、指定者の「文部科学省」は存在していませんでした。
2001年(平成13年)までは「文部省」と呼んでいたので、正しくは設置した時点での官公署の名称「昭和9年……文部省」になります。
昭和9年といえば、日本が戦火に包まれる前の豊かな時代。旅行も自由にできたので観光客も多かったに違いありません。

ガイドさんに連れられてきたのは、天竜峡にかかる吊り橋「つつじ橋」
歩行者専用の小さな吊り橋なので、マジで揺れます。

で、ガイドさんからは「ここから先には行かずに引き返すように」言われたので、橋を一往復して引き返します。




本当は20人定員なので、これは定員オーバー。
短い時間で戻らなくてはならない観光ツアーの宿命です。





母とのんびり歩いて天竜峡駅に戻ったのは、13:10すぎ。「飯田線秘境駅号」発車の15分ほど前でした。
駅前には2軒ほどのお土産屋があり、買い漁っている人もいましたが、私たちは何も買いません。

(実は、日帰り旅行の場合は会社へのお土産を省略させてもらっています)




発車5分前。改札口に居る添乗員さんに名前を告げ、飯田線秘境駅号の到着を待つことにしました。









しゅんしゅんのHP TOP



(C) 2017 S.Nakamura(Shunshun)