2011 志摩・伊勢旅行
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東日本大震災からそう日が経っていない2011年春休みのある日。計画停電が予想される春の河口湖はさすがに取りやめたものの、旅行を自粛しても被災者のためになるわけではない、との判断で旅行にでかけました。
当時、不足していた東日本地区の電力を使わないようにするため、60Hz地区で行き慣れたところということで伊勢方面にしました ブログに掲載した内容の再構成です。 1日目/2日目 |
1日目 | . |
初日は伊勢湾フェリーを利用して、二見にある「伊勢・安土桃山文化村(ちょんまげワールド伊勢)」へ。かつては「伊勢戦国時代村」という大新東運営のテーマパークでした。WEBサイトを見ると、見るところもありそうなので、足を運んだのですが…… 11:00近くに駐車場に着くと、車は数台。お客さんは私たちの他、姿が見えません。 中に入ると数組いたのですが、皆同じように回っているので、いつの間にか顔なじみになってしまうぐらいです。 |
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この日のフェリーに載った車 |
同じ海で繋がっている被災地に思いを馳せ、しばし黙祷。 |
にゃんまげ君。この後、何回も会うことになる。 |
キャラクターがお客さんを探し求めて…… |
ニャンまげ劇場 |
安土城 |
伊勢戦国時代村当時、ここはアクションスターによるショーが売り物でした。 がらがらのアトラクションを回りながら、かつてはかなり気合いを入れて設備投資したんだなぁ、ということが見て取れます。金を掛けたところと、後から付けられた手製の掲示物がそれを物語っています。 「ニャンまげ劇場」という劇場に入ったところ、スクリーンが一つあるだけ。 内容は大坂夏の陣の映画らしいのですが、始まってびっくり仰天。 画質や音質が最悪。家庭用ビデオの映像を無理矢理スクリーンに映したような映画。しかも、時代考証がメチャクチャで、吹き出しながら見ていました。 昼食は、丼物と麺類の店へ。値段は500円均一とか。 店員さんが呼び込みをしていたので、誘われるまま中に入ってびっくり仰天。呼び込みをしていた店員さんが会計をし、調理まで始めたのです。 他に客がおらず、注文の品はすぐ出てきました。料理を出し終わると、店員さんは再び呼び込みのために屋外へ……食べ終わる頃、数人のお客さんが入ってきたのでちょっとほっとしましたが、何だかなぁ、という感じ。 ここは「入村手形」(入場のみでアトラクション券は別売)と「通行手形」(いわゆるパスポート)に分かれていて、私たちは「通行手形(家族割引券)」で入ったのですが、大半のアトラクションの玄関には人がいません。 「利用券を箱の中に入れて下さい」……んんっ? つまり、もぎりの人件費より、無賃で利用された場合の損失の方が少ないため、入口に人を置かないのでしようか??。 (迷路など大型のアトラクションの前には案内人が立っていて、もぎりもしていました) 迷路も、昔作ったままで手を入れていないのか、正解のルートの床は剥げているし、扉も剥げていて、あっさりと正解のルートが分かってしまいます。 戦国村当時は入る前に並んだんだろうなぁ、と思いました。 ここのランドマークである「安土城」にも行ってみました。 お城に行くためのバスも「戦国村」当時のもので、かなりの年代物。山の上にあるので、バスがあるだけ助かりましたが。 お城の内部は、戦国時代の合戦模様がリアルな等身大の人形によって再現されていました。また、天守閣からの眺めや黄金の間もそれはそれは見事なものでした。 多分、戦国村当時からそのまま引き継いだ物だと思います。 |
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安土城からの眺め。手すりの塗装が剥げている。 |
迷路内、正解の扉だけ、塗装が剥げている。ホームセンターでペンキを買ってきて、塗り直す手間も惜しいのか?? |
アトラクションをほぼ体験し尽くし、ぶらぶらしていると、お客さんが誰もいない広場にキャラクターが手持ちぶさたにしていました。子どもを引き連れている私たちを見ると、キャラクターが向こうから近づいてきて、記念写真。 店の商品をみたり、休憩所で休んだりしたあと、広場に出ると再びキャラクターが……もうっ。 ちなみに、休憩所で売っているスナックは、殆ど冷凍食品のようです。ソフトクリームも、パックに入っているのをコーンに絞り出すタイプのものでした。もちろん店員さんはひとり。おまけに、売店の店員が手裏剣ゲームの係も兼ねていたので、子どもが手裏剣ゲームに興じているあいだ、売店は無人に………… |
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14:50から、俳優さんによるショーがあるというので、「大忍者劇場」に足を運びました。 広い劇場に入っているお客さんはざっと30人。多分、今日来ているお客さんの全てでしょう。 アクションを演じる俳優は二人っきりで敵味方に分かれた忍者による激しいアクションはなかなかのもの。 忍者が地下足袋を履くのか??……という突っ込みどころがありました。というか、忍者同士が忍者装束のまま術を使って戦うこと自体があり得ないのですが。 ショーの後半は、俳優二人によるお笑いコント。客いじりもあり、上の子がステージに呼ばれたりして愉しいひとときでした。 この日は「ちょんまげ3Dっぽい劇場」「山田奉行所」は休演でした。「大江戸劇場紅屋」は安土城の見学と重なったので見ていません。 |
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一通り見たので、寂寥とした「伊勢・安土桃山文化村」を後にして、車で5分、ホテル(リゾートイン二見)へ。 ホテルから歩いて夫婦岩を眺めた後はのんびり過ごしました。(夕食は外出) それにしても、駐車場の車少なっ。 値段も安く、清潔で、貸し切り風呂が自由に使えるなど、いくら平日とはいえ、春休みにこんなに空いているなんて信じられないです。 震災による過剰自粛の影響か、伊勢志摩の集客力が落ちたのか…… まさか、海岸から至近距離のため、津波の心配……なんて事はないよね。 |
夫婦岩 |
ベッド4つのファミリータイプ。 |
前に泊まった「パームテラスホテル」よりずっと広い |
貸切風呂。 |
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2日目 | . |
翌日、ホテルの窓から見える大海原に名残を惜しみつつ、志摩スペイン村へ移動。春休みの志摩スペイン村は4年連続です。 (今年はさすがに卒業しようと、河口湖への旅行を計画したものの、変更せざるを得なかったのは冒頭に書いた通り) 9:00の開園時刻に着いたのですが、駐車場には数台の車のみ。エントランスには全く人がおらず、キャラクターが手持ちぶさたにしていました。 屋内アトラクション「ピエロ・ザ・サーカス」は回転が悪いため、春休みは15分程度の待ちになることが多いのですが、今回は待ち時間無し。心ゆくまで愉しめました。 |
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開園直後とはいえ、一応春休みなんですけど…… |
パレードが始まるというのに、ロープが張られた場所に待つ客はまばら。
それでも、朝から比べるとお客さんの数は増えてはいますが。 観客全員が最前列で見られたのはもちろん、観客が居ないところで演技しているダンサーが気の毒です。 私の思い過ごしかもしれませんが、ダンサーの数は減っているし、フロートの数も減っているようなきがします。フロート自体も、多分10年前からそう変わっていないでしょう。音楽も同じだし。パレードの後は、スペインの町並みを再現した「サンタルクス通り」へ。スペインの雰囲気たっぷりに小さな建物が建ち並ぶこの一角、昔は、沢山の店や飲食店が並んでいましたが、今では空店だらけ。意味のない展示をしている建物も。見るところもなく、あっという間に「アドベンチャーラグーン」に着きました。海賊船の内部や岩肌などが徹底的に作り込まれていて、まさにテーマパークにふさわしいアトラクションです。ただ、出来た当時とは何一つ変わっていませんが。 昔は平日でも30分以上並んだんですけどねぇ………… この辺りにあるレストランは、ここのところ閉まったまま。アドベンチャーラグーンを見渡せる、絶好のロケーションではありますが、場所が良くないのかな?? |
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奥にフロートが見えているのに…… |
終わりごろになって混んできた?? |
ショーは一昨年と内容が変わっており、キャラクター総出演の華やかな内容でした。 ただ、バックダンサーは3人だけ。ここで手を抜いたかな??、という印象はありました。 ショーの前に女房が売店で200円のウーロン茶を買ったら、ペットボトルから紙コップに移し替えていたのにショックを受けていました。ベンダー動かすほどの売り上げがないのなら、紙コップを付けてペットボトルはそのまま売ればいいのに。たこ焼きとかもありましたが、どうせ冷凍だろう、と手が出ませんでした。 と、文句ばかり書いていましたが、子どもたちも大きくなり、ふざけ合っているだけでも楽しいし、雰囲気自体は決して悪くないところです。 ただ、設備投資するだけの客が来ない、という悪循環に陥っているのでしょうか。近鉄電車がバックについていなければ、どうなっている事やら………… 最後に「エスパーニャ通り」でお買い物。キャラクターのついた商品が一段と少なくなり、三重の特産品や輸入雑貨や食品が多数並んでいました。以前、TDRと比べて好ましい感想を持ったのですが、これ以上キャラクター商品が減ると、観光地の売店状態になってしまいそうです。 下の娘は「(せっかくお小遣い持っているのに)買う物がない」(=魅力ある商品がない)と泣かんばかりに不機嫌でした。私も、会社へのおみやげぐらいしか買っていません。 |
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サンタルクス通りはほとんどの店が閉まっていた |
閉園少し前の土産物売り場の状態…… |
風が強く、帰りのフェリーは大揺れ。しぶきで全身塩まみれに。 今回はスタンプラリーをやらなかったことや、翌日は女房が朝から仕事ということもあり、予定より早く志摩スペイン村を出て、1本早いフェリーに乗って帰ってきました。 フェリーの車両甲板には自家用車が10台前後とトラック。 往復のどちらかは特別室にしようかと思ったのですが、一般席がもの凄く空いていたので、今回は往復とも利用しませんでした。 今回は震災の直後という事情もあるのでしょう。 それでも、かつて日本有数の観光地として栄華を極めた鳥羽・志摩が年々、寂れていく様子が感じられ、複雑な思いでした。 |
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(C) 2011 S.Nakamura(Shunshun)